学び直しは「何を学ぶか」より、学んだあと何年使えるかで順番が決まる
「40 代からの学び直し」で検索すると、出てくる記事はほぼ全部がキャリアの話です。年収を上げる。転職に備える。管理職に必要なスキルを補う。
それはそれで正しいのですが、やりたいことリスト 100 の「学び」カテゴリに入るのは、たいていそういう項目ではありません。弾けるようになりたい楽器。読めるようになりたい言語。分かるようになりたい分野。
年収に返ってこない学びを、どの順で始めるか。この記事はそれだけを扱います。
「もう遅い」は、能力の話としては正しくない
先に、いちばん多い思い込みを外しておきます。
シャイエのシアトル縦断研究によると、言語能力などの 結晶性知能は 60 歳代にピークを迎え、その後の低下は 80 歳代前半まで非常に緩やかです。流動性知能も 55〜60 歳頃までは高く維持され、明確な低下を示すのは 80 歳以降とされています(健康長寿ネット・公益財団法人長寿科学振興財団)。
40 代で「もう頭に入らない」と感じるのは、能力の低下ではなく、まとまった集中時間が取れなくなったことの影響が大きい。ここは能力の問題ではないので、能力を理由に諦める必要はありません。
遅くなるのは、覚えたあとに 使える残り年数 のほうです。そして、その締切は 1 種類ではありません。
学びの締切は、2 つある
ここが競合記事とのいちばん大きな違いです。「何歳まで」を 1 本の線で考えると、判断を間違えます。
締切 1: 身体を使う学び — 健康寿命が締切
留学、現地でのフィールドワーク、登山を伴う地学、ダイビングのライセンス、体を大きく動かす楽器や舞踊。移動と体力が前提にある学びは、健康寿命が上限です。日本人の健康寿命は男性 72.57 歳・女性 75.45 歳(厚生労働省・2022 年値)。詳しくは 健康寿命を踏まえた人生計画 に書きました。
締切 2: 認知だけで完結する学び — 80 代前半まで使える
読む言語、歴史、数学、法律、文学、作曲、プログラミング。上のシャイエのデータがそのまま効く領域で、80 代前半までは実用的に使えます。
この 2 つを混ぜると、「語学は若いうちに」という雑な結論になります。実際には 話す・現地で使う語学は締切 1、読む語学は締切 2 で、同じ「語学」でも上限が 10 年近く違います。
自分の残り年数は 人生の残り時間計算機 で出せます。
順番を決める、1 行の式
順序はこれで決まります。
使える残り年数 = 締切の年齢 − (いまの年齢 + 習得に要る年数)
そして、
使える残り年数がいちばん短いものから始めます。
やる気の強さでも、難易度でも、流行でもありません。難しいものを後回しにすると、難しいものほど習得年数が長いので、残り年数が二重に削られます。
例として、45 歳の人が 3 つを比べたとします(締切は男性の健康寿命 72.57 歳と、認知系の 82 歳を使用)。
| 学びたいこと | 締切の型 | 習得年数 | 使える残り年数 |
|---|---|---|---|
| 現地で話せるスペイン語 | 身体 (72.57) | 3 年 | 約 24 年 |
| ピアノで 1 曲弾く | 身体寄り (72.57) | 5 年 | 約 22 年 |
| 古典を原文で読む | 認知 (82) | 4 年 | 約 33 年 |
3 つとも「いつかやりたい」の中に並んでいたはずですが、締切の型と習得年数を入れると差が出ます。この例なら、古典は後でよく、ピアノを先に始めるという順序になります。直感とは逆になることが多いはずです。
さらに、回数の観点を足すと差が開きます。体験にいくらまで使っていいか で書いた通り、残り回数が少ないものほど、1 回に投じてよい資源は大きくなる。学びも同じで、残り年数が短いものほど、今年その時間を割く価値が高くなります。
習得年数の見積もりを間違えない
式の右側でいちばん間違えるのが習得年数です。多くの人が短く見積もり、1 年で「向いていなかった」と判断してやめます。これがいちばん損の大きいパターンで、習得年数を過ぎる前にやめると使える残り年数がゼロになり、投じた時間は回収できません。
見積もりを現実に寄せる目安を 3 つ。
1. 「使える」の定義を先に書く。
「英語ができる」では見積もれません。「初対面の人と 30 分雑談できる」「専門誌を辞書なしで読める」のように、達成を判定できる文にします。定義が変われば必要年数は倍単位で変わります。
2. 週あたりの時間から逆算する。
必要総時間を、確保できる週あたりの時間で割ります。週 3 時間しか取れないなら年 150 時間。ここで出た年数が、上の式に入れる数字です。「頑張れば」の想定で埋めないこと。
3. 中断を織り込む。
仕事や家庭の事情で、必ず数か月止まります。見積もりに 1.3 倍しておくと、止まったときに「もう無理だ」と判断せずに済みます。
やりたいことが多すぎて 1 つに絞れないときの考え方は やりたいことが多すぎて時間が足りない にあります。学びは並行できる数が特に少ない種類の項目です。
費用: 使えるものと、使えないもの
学び直しの記事の大半はスクールや大学院が出しているので、費用の話が売り込みと混ざります。中立に書いておきます。
雇用保険の被保険者であれば 教育訓練給付制度 が使えます。専門実践教育訓練は 2024 年 10 月に拡充され、受講費用の 最大 80%(年間上限 64 万円) が支給されます。改正前は 70%(年間上限 56 万円)でした。上乗せの条件は、資格取得や就職のあとに賃金が 5% 以上 上がっていることです。
ただし、対象は厚生労働大臣が指定した講座に限られます。看護・介護・IT・専門職大学院などが中心で、趣味性の高い学びはほぼ対象外です。この記事が扱っている「年収に返ってこない学び」の多くは自費になります。
そこで判断が要ります。給付の対象になる講座を選ぶと費用は下がりますが、それは「やりたいこと」ではなく「制度が用意したもの」を選んだことになる。制度に合わせて学ぶ対象を変えるのは、リストの意味を裏返します。
金額の上限は、給付の有無ではなく、残り回数から決める方法で出してください。
時間: 学びは「まとまった休み」を必要としない
学びは、1 回あたりが短く、回数が要る種類の項目です。だから確保すべきは連続した休みではなく、細切れの時間です。
- 週の細切れ — 通勤、昼、就寝前。習得年数を決めるのはここ
- 年に余っている有給 — 平日でないと行けない教室や試験に当てる(有給が毎年 6 日、使われないまま消えている)
- 9 日枠 — 短期留学や合宿のように、連続日数が要るものだけ(やりたいことを「必要な日数」で仕分ける)
3 つを分けずに「まとまった時間ができたら始める」と考えると、学びはいちばん最後まで始まりません。週の細切れで進むものを、まとまった休み待ちの列に入れないこと。
留学のように移動を伴うものは、年齢による実行可能性の変化が大きいので、旅は何歳で行くかで価値が変わる の判定を併せて使ってください。
習得年数を書くと、何が変わるのか
この記事の手順のうち、実際に効くのはほぼ「習得年数を書く」の一点です。理由を 2 つに分けて書きます。
1. 中断したときに、失敗かどうかを判定できるようになる。
「いつか英語を」とだけ書いてある状態で 2 か月止まると、それが遅れなのか終わりなのかを判定できません。判定できないものは、たいていそのまま終わります。
「専門誌を辞書なしで読める / 週 3 時間 / 3 年」と書いてあれば、2 か月の中断は 3 年の計画に対する遅れとして扱えます。学びは必ず止まるので、止まったときの扱いを先に決めてあるかどうかが、続くかどうかを分けます。
2. 金額で本気度を担保しようとすると、順序が壊れる。
高い講座に申し込むのは、続ける仕組みを外部に作る行為です。ただし、それが担保するのは「通うこと」であって「使うこと」ではありません。
学びのリターンは支払額ではなく使用回数で決まります。 使用回数を決めるのは、この記事の式の右側 — 習得年数と、覚えたあとの残り年数です。金額はそのどちらにも入っていません。費用の判断は、順序を決めたあとに来ます。
今日決める、1 つの数字
学びたいことを 3 つ書き出す必要はありません。1 つで足ります。
いま学びたいことを 1 つ選び、「使える」の定義を 1 文で書いて、週に何時間取れるかを書く。
その 2 つが決まれば、習得年数が出ます。習得年数が出れば、締切の年齢から引いて、使える残り年数が出ます。
出てきた数字が思ったより小さければ、それは 今年始めるべきもの です。大きければ、順番は後ろでいい。何を学ぶかを迷っている時間は、この計算をしていないから終わりません。
FAQ
よくある質問
- 40 代から学び直すのは、もう遅いですか?
- 能力の話としては遅くありません。シャイエのシアトル縦断研究では、言語能力などの結晶性知能は 60 歳代にピークを迎え、その後の低下は 80 歳代前半まで非常に緩やかです。流動性知能も 55〜60 歳頃までは高く維持されます (健康長寿ネット・長寿科学振興財団)。遅くなるのは覚えたあとに使える残り年数のほうで、そこが本文の主題です。
- 結局、何から始めればいいですか?
- 学びたいものを 3 つ書き出して、それぞれについて「習得に何年かかるか」と「覚えたあと何年使うか」を出してください。使える残り年数がいちばん短いものから始めます。難易度でも、やる気の強さでもありません。順序を決めるのは締切です。
- 仕事に関係のない学びに、お金と時間を使う意味はありますか?
- この記事はその前提で書いています。年収に返ってこない学びは、投資としてではなく体験として評価してください。評価軸は「その知識を何回使ったか」です。回数で測ると、資格より語学や楽器のほうが高くなることがよくあります。金額の決め方は 体験にいくらまで使っていいか にまとめました。
- 費用の補助は使えますか?
- 雇用保険の被保険者であれば教育訓練給付制度が使えます。専門実践教育訓練は 2024 年 10 月から受講費用の最大 80%(年間上限 64 万円)に拡充されました。ただし対象は厚生労働大臣が指定した講座に限られます。趣味性の高い講座はほぼ対象外なので、この記事が扱う「使いたいから学ぶ」類の多くは自費になります。
- 時間が取れません。
- 学びは 1 回あたりの所要時間が短く、回数が要る種類の項目です。まとまった休みより、細切れの時間を確保できるかで決まります。年に余っている有給の使い道としては相性がよく、そちらは 有給が毎年 6 日、使われないまま消えている に書きました。留学のように連続した日数が要るものは やりたいことを「必要な日数」で仕分ける のほうです。
- 途中でやめたら無駄になりますか?
- 習得年数を過ぎる前にやめると、使える残り年数がゼロになるので、投じた時間はほぼ回収できません。だからこの記事は、始める前に習得に何年かかるかを見積もることを最初の手順に置いています。3 年かかるものを 1 年で判断してやめるのが、いちばん損の大きいパターンです。