Manifesto
いつかを、
いつにする。
わたしには、356 行のリストがある。
2020 年の終わりから書き始めて、5 年あまりで 164 行を実際にやった。1 行ごとに、達成した日付と一言のメモがついている。「2021/05/04 神社で滝行」「2024/10/12 海の近くに引っ越し」のように、その日の出来事と感想を、なるべく短く残す。
達成した日付を書き加える瞬間は、地味に嬉しい。あとから読み返すと、ただの一行のはずなのに、その日のことを意外と細かく覚えている。
これはわたしの 5 年分の記録だ。誰かに見せるためというより、読み返すたびに、自分が何を選んできたかを確かめるために、続けている。
ライフバケットというアプリは、この 5 年の積み上げから生まれた。
始まりは、26 歳の冬だった
きっかけは一冊の本だった。
26 歳の冬、Bill Perkins の『DIE WITH ZERO』を読んだ。お金は最後に 0 にして死ね、という挑発的なタイトルの本だ。
中身は、タイトルほど派手ではなかった。お金の価値は、それを「体験」に変えたときに生まれる。そして体験を本当に味わうには、それを楽しめる健康と、それを共にする人と、何より、それに気づける時間がいる。お金だけが通帳に残っていても、健康と時間が尽きていたら、その数字は意味をなさない——そんなふうに、Perkins は静かに書いていた。
20 代でしかできないことがある。30 代に入ってからの方が深く味わえるものがある。60 代から始めたい習慣もある。体力、気力、人間関係、お金の使い方、すべて年齢によって少しずつ変わる。Perkins はこれを「タイムバケット」と呼んだ。人生を 10 年ずつのバケットに区切って、その年代でしかできないことに、その年代のうちにお金と時間を使う。
26 歳のわたしは、その本に強く揺さぶられた。
それからの数週間、Perkins の言葉が頭から離れなかった。通勤の電車のなかで、休日の散歩の途中で、ふと「これは何代でやりたいんだっけ」と考えるようになった。お金、健康、時間、人。この 4 つを意識しはじめると、毎日の小さな決断が、ぜんぶ少しずつ違って見えた。週末ひとりで静かにする時間と、誰かを誘って遠出する時間。来月使う 1 万円と、10 年あとに残しておく 1 万円。順番を、意識して選ぶようになった。
それまでも頭の中には「いつかやりたいこと」がいくつもあった。オーロラを見たい。本を出したい。海の近くに住みたい。けれど、頭の中に置いておく限り、それは形にならない。1 年も経つと、何を考えていたかすら思い出せない。
本を閉じて、わたしはひとつだけ決めた。全部、書き出そう。
5 年で、164 個をやった
書き出してみて、自分でも驚いた。頭の中で「いくつかある」と思っていたものは、ノートにすると 200 を超えていた。書き終えた頃には、自分がこれだけ生きたい人生像を持っていたのか、と少し恥ずかしくなった。
そこから 5 年あまり、リストは増え続けた。誰かの旅行記を読んで「自分もやりたい」と思って書き足す。新しい街を歩いて、ここに住んでみたい、と書き足す。総数は今、356 行ある。そのうち 164 行に、達成のチェックが入っている。
振り返ってみると、いくつか印象に強く残っている瞬間がある。
- 2021 年 4 月、裁判を傍聴した。「裁判傍聴する」とリストに書いていた。実際に法廷に座ってみると、終始緊張した。社会の輪郭が、それまでとは少し違う角度で見えるようになった。
- 2021 年 5 月、山あいの神社で滝行をした。「滝修行」と書いていた一行を、連休の一日に当てた。冷たい水を頭から浴びる時間は短かったが、自分から「やる」と決めて足を運んだ事実が、リストが効きはじめた最初の感覚だった。
- 2023 年 3 月、個人で続けていたサービスから、月 10 万円の収入が出るようになった。「月 10 万円稼ぐ」とリストに書いていた。前年の夏にはアクセスも月 10 万を超えていた。会社員の給料の足元にも及ばない金額だが、自分の手で作ったものに人が集まり、そこからお金が回ったのは、初めての感覚だった。
- 2023 年 6 月、古寺で坐禅を組んだ。リストには「寺で坐禅する」と一行だけ書いてあった。30 分間ひたすら呼吸を数えるだけの時間が、それまでの数年で一番、頭の中が静かになった瞬間だった。
- 2024 年 1 月、会社を辞めた。「独立する」とずっとリストに書いていた一行を、その日にようやく実行に移した。自分の運営するサービスから出る収入で、なんとか暮らせる目処がつき、踏み切れた。
- 2024 年 3 月、東南アジアの街で 1 ヶ月暮らした。「語学留学する」と書いてからずっと、いつかいつか、と引き延ばしていた。リストを開いて、「やる」と決めて、行った。
- 2024 年 10 月、海の近くに引っ越した。「海の近くの家に住む」は、リストの上のほうにずっと置いていた一行だった。何年もかけて準備して、ようやくたどり着いた答えだった。日々、海岸線を歩いている。
- 2025 年 7 月、自分の会社を登記した。「起業する」とリストに書いてから、ずいぶん経っていた。30 代のうちに、と曖昧に思っていたものが、明確な日付に変わった。
- 2025 年 9 月、小さな島で天の川を見た。「天の川を見る」は何年も達成できていなかった。場所と季節と天候の交点に自分を運ぶ必要があり、それは「いつか」のままでは絶対に起きないことだった。
- 2025 年 12 月、長く育ててきた個人開発のサービスを、iOS アプリとしてリリースした。「やりたい」と思いつつ手をつけられていなかったが、その年の年末、ようやく App Store に出した。
これら全部に共通しているのは、ひとつだけだ。書いておかなければ、たぶんどれも、まだ「いつか」のままだった。
リストは、わたしを変えた
リストを 5 年続けてみて、わかってきたことがある。
リストはただの記録ではない。書いて見える場所に置いておくと、行動の優先順位が、知らないうちに変わる。週末の予定を決めるとき、有給を取るとき、引っ越し先を選ぶとき。リストの中にある何かを、今やれるんじゃないか、と一瞬考える。その一瞬の介在が、人生の地図を少しずつ書き換えていた。
もうひとつ、書き続けて気づいた。達成のあとに残るのは、満足度の数字より、メモの一行だ。「2025/09/22 天の川が見られた」とだけ書いてあるのに、その夜のことが意外なほど鮮明に戻ってくる。リストを読み返すのは、過去の自分が残してくれた記録を、ひとつずつ確かめる作業に近い。
記録は、過去の自分への信頼にもなる。リストの末尾にずっと並んでいる達成のメモが、次の 1 行に手を伸ばす後押しになる。次の 5 年で、リストはまた少しずつ進んでいく。そう思えるのは、ここまでに積み上がった 164 行があるからだ。
5 年やってみて、わたし自身がいちばん強く実感している。リストの効き目は、本を読んだときに想像していたよりずっと地味で、ずっと大きい。書いて、置いて、たまに眺める——この当たり前の習慣ひとつで、人生の輪郭が少しずつ書き換わっていく。
ライフバケットというアプリに残すべきデータは何なのか、ここでようやく見えた。やりたいことの宣言、年代の選択、達成のメモ、満足度の数字。それ以上は、たぶん要らない。
「いつか」を、「30 代でやる」に翻訳する
リストを書き続けて 5 年、ある時期に気づいたことがある。
世の中のバケットリスト系のアプリやサービスを、片端から試した。どれも、本質的には「やりたいことを並べる」道具だった。リストは、リスト以上のものにはなれない。並び順は気分次第で、何年残っていてもおかしくない 100 行と、来年やらないと体力的にきつい 5 行が、同じ重さで隣に座っている。
体験には「適した年代」がある、と Perkins は書いていた。バックパッカーの放浪は 30 代までが体に楽だ。親と一緒の長旅は、親が動けるうちにしかできない。子供と過ごす時間には、小学生の数年というピークがある。全部が同じ列に並んだ瞬間、その「年代適性」は見えなくなる。
だから、自分自身のリストには、いつしか年代を書き足すようになった。
- 「ヨーロッパでサッカー観戦する」の隣に、(30 代)。
- 「フルマラソンを完走する」の隣に、(30 代)。
- 「孫と一緒に絵本を書く」の隣に、(70 代)。
書き加えた瞬間、リストは別物に変わった。「いつか」と書かれていた行が、「30 代でやる」「60 代でやる」「70 代でやる」という宣言に変わっていた。
年代を貼った瞬間、そのやりたいことは具体的になる。次に来るのは「予算」と「期日」だ。「30 代でスペインに行く」と書いて、予算 60 万、有給 2 週間、と隣にメモする。それで、ようやく行ける状態になる。書き終わったとき、それはもう「いつか」ではなく、ただの「次の旅行計画」だった。
これ、データ構造として持てたら、もっと強い。次に思ったのはそれだった。
年代帯を、データ構造に刻む
ライフバケットの設計は、ここから始まった。
いちばん下にある判断は、ひとつだ。やりたいことには、年代を貼る。
年代のラベルがついたバケット。20 代、30 代、40 代、50 代、60 代、70 代、80 代。それぞれに、自分のやりたいことが振り分けられる。
ホーム画面を開くと、今の自分の年代がいちばん上に出る。次の年代まで何年、と毎日表示される。30 代で 5 年なら、5 年と書く。残り時間が見えていると、自然に「これは来年やろう」「これは 40 代で」と並び順が動く。
やりたいことを追加するときも、必ず「何代でやるか」を選ぶ。年齢帯と、予算と、カテゴリ。たった 3 つだけだ。これを書くだけで、「いつか」だった行が、「30 代の予算 50 万円の旅」に変わる。
達成したら、満足度を 5 段階で記録する。価格と満足度を残しておくと、自分の「体験への使い方」がカテゴリ別の円グラフになる。お金のかけどころが、未来の自分への手紙として残る。Perkins はこれを Memory Dividend と呼んだ。体験は、買ってから何年も、思い出という形で「配当」を返してくれる。
10 年前の旅の写真を見るたび、当時払った 30 万円が、今でも思い出として残っているのがわかる。逆に、ただ口座に入れておいた 30 万円には、何の記憶もくっついていない。Perkins が言いたかったのは、たぶんこれだ。だからアプリでは、体験への投資額と、そこから返ってきた満足度を、いっしょに記録する。
機能はここまで。年代、予算、カテゴリ、満足度。それだけで、リストはリスト以上のものになる。
これからの 10 年で、わたしがやること
356 行のリストには、まだ 192 行、手をつけていない。
スペインに行く。ピラミッドを生で見る。フルマラソンを完走する。本を出す。FIRE を達成する。事業を売却する。子をつくる。孫と一緒に絵本を書く。
何年もそこに置いてあるものもあるし、最近書き足したものもある。書き足す理由のほとんどは、誰かの記録を見て「これ、自分もやりたい」と思った瞬間だ。天の川を見に島まで行ったのも、誰かの旅行記を読んで、自分のリストに足したからだった。
眺めていると、わくわくと、少しの焦りが同時に来る。書いてから何年も経つ行もある。けれど、焦りは悪いものでもない。残り時間が見えているからこそ、来年に置く 1 行と、再来年に置く 1 行を、自分の意思で選ぶことができる。
誰かの達成は、自分の選択肢を増やす。比較ではなく、触発と呼びたい。誰かがやったのを見て、自分もやりたくなる。リストの行数は、そういう連鎖で増えていく。
だから、ライフバケットには、いずれ共有の仕組みを足したい。年代帯ごとに、誰かの「これをやった」を眺められる場所。眺めて、いいなと思ったら、自分のバケットに保存する。それを主な動線にする、静かな場所を、作りたい。
ただし、それは数年先の話だ。まずは、自分の 356 行と向き合う。その地図を、年代帯のデータ構造に直すことから始める。
最後に
「いつか」を「いつ」に変えられるのは、いつだって自分自身だけだ。
アプリは、その「いつ」を考えるための、小さな道具にすぎない。それでも、頭の中にだけ溜まっていた言葉が、年代別のバケットに整理されて、残り時間と一緒に目の前に並ぶ——その瞬間、来年やっておこう、と思える何かが、たぶん 1 行は見つかる。
そのひとつでもあれば、このアプリを作った意味がある。
人生は短い。30 代は永遠ではないし、60 代まで両親がいるとも限らない。
だから、今、やる。
このアプリは、わたし自身の 5 年間を、ぎゅっとデータ構造に圧縮して作った。だから機能は地味だし、SNS のような賑やかさもない。けれど、毎朝開いて自分の年代と残り時間を確認するだけで、その日の選択が少し変わる——そういう道具になっていてほしいと思っている。
良かったら、使ってみてください。